本日のお昼ご飯。
鯛焼きに感動の、月曜日。
私の、命の恩人。
そうるふうど。
昨日。
カウンターが、ごうんごうん。
いつもの何倍も回りました・・・。
心穏やかでは無いことを綴って
「おやまあ?」と、
思わせてしまったから、かしら。
ひと呼吸置くことを学ばないと・・・。
それから。
先刻、とても良い文章に巡り逢えて
ほうっと溜め息が漏れました。
わたしも、そうありたい。
今朝、溜まりに溜まったものに
堪らなくなりました。
だって、言い訳が透けて見えて
しまったのだもの・・・等と
思考が幼すぎる私も、相当な
お莫迦さんです。ごめんなさい。
澱が溜まったら、皆さんはどうやって
心から洗い流すのでしょうか?
もっと、好い方法があるのならば
教えて下さい。いや、本当に・・・。
*
今月の匙。気になる記事が幾つか。
すごく欲しいけれど、我慢・・・。
それから、ようやく匙関連から
「待っていたもの」が届きました。
わーい(子供)。
これが本当の生きかただ。
虚飾も世辞もなく、そうしてひとり
誇りを高くして生きている。
こんな生きかたが、いいなあと
思いました。
太宰治:水仙
*
3つある内の、1つに慌しく目を
通しただけのことなのだ。
「知らなかった」。「解らない」。
安易な言葉に頼り、何故遡らない。
上澄みだけを、さらりと掬う。
自分の好しとするものにだけは、
熱心。執着するのだろう。
嫌いなのは、嘘吐きな人。
誠実を装う人。
自信家は、好きだ。
ただし、半端な自己愛は好かない。
突き抜けてこその、自信家。
(私は何ごとも、なにごとも半端)
*
「自己弁解は、敗北の前兆である。
いや、すでに敗北の姿である」。
太宰治は、そう綴った。的を射る様。
いま、だれがわらったの?
6月23日。
今日は、お友達の命日です。
私の後悔を、知っていますか?
今日の雨は誰の涙ですか?
*
「明日」が来るのは、当たり前。
違う、そうじゃない。
「またね」が最後の「またね」に
ならないように、側に居る人達を
想いたい。学んだこと。
それなのに、忘れそうになる・・・。
此処に何度も何度も綴ったので、
どなたか憶えて居て下さるかしら・・・
「忙しいよ」という言葉に安心して
(これを言っておけば許される?)
繋がりを曖昧にしてしまわない様に。
メールの一行も打てないくらいに、
忙しい時が何年も続く訳がないのよね。
*
今日は、最後にお話した場所へ寄って、
お花を買って帰って来ます。
雨は苦手。でも、今日の雨はやさしい。
涙の雨かな・・・。
「空の上から、見守っていて下さい」。
カミナリさんを連れて来たよ。
怖いので、「遠くの桑原」。
*
心は潤いました。
でも、もう少しだけ休むの。
雨粒に頼りすがる姿を誰に
重ねたか…内緒にしても駄目。
やっぱり何かが、少しずつ
変わろうとしている様に感じる。
「流され、落ちるな」。
映画を観ますよ。
ちょっと、心に潤いが必要なの。
いや・・・たくさん必要かなあ。
潜在意識と顕在意識の狭間で。
*
そして。
とあることに、確信を持ったことで
「やっぱり、何よりも自分が一番大切」。
これが、当たり前でおかしくも何とも
無いのだと解った。良い意味で、です。
自分が想うほど、人は他人を意識して
観ては居ないのよね。
自然にして居れば、好いのだ。
私のして来たことが、
間違いじゃないことを知って
「良かった」と、素直に想った。
すこぶる小さくとも。
今後も重ねて行ったら・・・。
未だまだまだ、まだ。足りない。
努力も何もかも。それでもね、
「小さなこと」が支えになるよ。
これから。
****
夏至が近付いて、あの日もまた
巡って来る。
「忘れてなんか居ないですよ」。
良いかしら。
麻のゆるりとした靴下と、ね。
カゴバッグも、もう良いかしら。
未だ、早いかなあ。